「そっか。大変だったんだね。本当によく頑張ったんだね。」
そう、聞きたかったのはこの言葉だ。
本当に欲しかったあの時には、誰も言ってくれなかった。
否、言ってくれた方もいたのかもしれない。でも私の心には
届かなかった。
そのくらい、私の心は疲れ果てていた。
ママの世界は特殊だ。
人付き合いにおいては、心に鎧を着て、地雷を踏まないように立居
いままでの私が築き上げてきたものはなんだったのだろう。
私らしさという塊があるとすれば、それをがりがりと日々削られて
今まで得意だったことが得意だと言えなくなる。
趣味の時間がなくなり、好きだったことは趣味と呼べなくなる。
育児以外のことには全然手が回らなかった。
つらいときに、心を開ける友人がそばにいてくれたらと何度願った
東京に帰りたい。友人に会いたいと何度泣いたことか。
私は環境に恵まれていない。と何度も嘆いた。
ところが私が抱えていた孤独や空虚感、そして
社会から置いてかれて行くようなさみしさ。
それらは私のように、妊娠と同時に仕事を辞めていたり、生まれ育
たいしたことのない悩みをこじらせてしまう。
不必要に落ち込んだり不安になってしまう。
子育ての中でも特に乳幼児を抱えてるママがこんな状態であるケー
そして何かをしたいと願っても「子どもがかわいそう」と言われ、
2013年 春。
3年ぶりに戻った東京。よく遊んだ六本木の街。友人主催のパーテ
貸し切りのバーで私は友人たちに囲まれていた。
もうこんな場所に来ることはないと思っていた。
大丈夫だった。私の居場所はまだそこに存在していた。
「そっか。大変だったんだね。本当によく頑張ったんだね。」
「でも子どもいるように全然見えないよね、もう来年幼稚園なんで
それに全然変わっていない。いや、それどころかパワーアップして
みんながみんなではないしろ、東京に戻った私を迎えてくれたのは
こんなに嬉しいとは思っていなかった。そ
その間東京に帰ったのは数えるほどで、多くの友人には会えていな
私は怪しい博多弁を話していて、友人たちを驚かせた。
それだけが唯一、福岡で暮らしていた証であるかのように、友人た
心に垣根を作らず、背伸びもせず、卑屈にもならずに語れる相手。
立場は違えど、互いを励ましあい、高めていける相手。
100人規模のパーティーやイベントを企画したこともある仲間だ
新卒から勤めた会社の頼れる元同期だったり
学生時代から一緒のサークルで濃い時間を過ごした仲間だったり
まだ独身で、「私の財産は友人」と言っていた頃からの大切な人た
私のいいところも悪いところもしっかり知ってくれている。
そんな相手からの言葉なら、素直に受け止められる。
いい気になって私は夢を語りだす。
ママのために子連れで行けるイベントを東京でも開催したい。
福岡でやっていた子連れオケイコサークルの話を語る。
これを東京でも根付かせたい!
そう、ママのためのスクールを立ち上げたいの!
すぐにいろいろな人が力を貸してくれた。
イベント開催によさそうなお店を紹介してくれたり
保育士さんの集まるイベントを紹介してくれたり
ママの集まるコミュニティを紹介してくれたり
「コジー(私のあだ名)なら絶対にやれるよ!」
私のために、協力してくれる人がいる。
大丈夫、絶対にやれるはず!
私は希望に満ちていた。
早速「ママキラ☆東京」という福岡でのやり方をアレンジした手法
すぐにサークルメンバーは40名程度集まり、夏にはイベントを開
2回ともすぐに満席。
イベント当日も手応えはあった。
その一方で私は運営にあたり、想像以上の壁も感じていた。
福岡との大きな違いは私が一人になったこと。
4人で進めていたことを一人でやっているし
東京でのいわゆるママ友は少ないし
その点でのハンデは想定内。
でもそれ以上に何かが違う。
私、そんなに難しいことをやろうとしているのかな。
そもそもこんな組織、東京の人は必要としていないのかな。
0歳ママの気持ちを忘れかけてるのもいけないのかな。
東京のママというライフスタイルに関して情報量が少なすぎるのか
もっとリサーチしてからリニューアルしてもいいのかも知れない。
それより、これ、本当に私が進めていきたいことなのかな。
そうこうしているうちに息子を幼稚園に入れるための活動「園活」
一度この問題ごと放置してみることにした。
それでも私はいろいろな人に今の状況を話していた。
意見は様々。正しくも、誤ってもいないと思う。
その人なりに解決策を示してくれてとてもありがたかった。
そんな中、知人の一人が「相葉さんに会ってみたらいいと思うよ」
すぐに私はblogをブックマークして、メルマガを購読する。
そして知人の紹介により、とんとん拍子に時間を作ってもらうこと
一度の面談で私の想いは伝わり、今の問題点も浮き彫りにしてもら
たった数時間で、解決方法は見えて来た。
いままでの悩んでいた日々が嘘のようだった。
相葉さんに相談しながらであれば、私も想いは形にできるかもしれ
アントレランドの案内をいただいて、その日のうちに主人に話して
早速参加させてもらうことになった。
これが2014年の春のことになる。
アントレランドは素晴らしい場所だ。
毎回みっちりと学ぶことで充実するのはもちろんのこと
メンバーの方々と関わることで「憧れ、尊敬、感謝」など数えきれ
最高に心地いい時間を過ごせる組織である。
参加当日からやるべきことがたくさん見え、そしてそれに着手する
努力は必要だ。時につらいこともある。
ただ、目的地が見えている努力なら、こんなに楽しいのだというこ
そして半期を過ぎたころ、私は2人目の妊娠が判る。
待望の2人目だったのでとても嬉しかったのだが
ちょうど相葉さんと面談を重ね、これからのことについて道筋が見
さあ、やりますよ!というところだった。
やっと今までの想いが形になりそうなところであったので
正直、「ああ、そっか。いまなんだ。」という思いもあった。
相葉さんの指示は「まずは出産に集中してください。」
焦らなくても大丈夫です、と妊娠中何度も言ってくださり、
無事に出産してからまた一緒にやっていきましょうと、妊娠中もず
私たち人にとって
一番素敵で尊いことですので
今は自分の体を大事にして下さい。
相葉さんはメールでこう言ってくださった。
「一番素敵で尊いこと」
この認識さえも忘れて落ち込み、苦しんでしまうママさんの多いこ
相葉さんはさりげないメールからも私にヒントをくれたのだと思っ
具体的に企画を進めることは全くしなかった(できなかった)けれ
意識的に情報収集をしたり、育児が落ち着いたら動き出せるように
できる範囲で私自身の「これからのこと」に目を向けることができ
妊娠中の過ごし方は相葉さんと出会っていなかったら全く違うもの
妊娠中は体調がすぐれなかったこともあり、周りの活躍に心がざわ
実際、アントレランドのメンバーは私の産休中にめまぐるしいほど
躍進を遂げている方がたくさんいらっしゃり、それはSN
そんなときも相葉さんのこの言葉に何度も救われた。
そして、周りがキラキラで、羨ましく感じながらも、これだけ輝い
私がこれからやりたいと思っていることはママを対象としている。
2人目の妊娠で学んだ、感じたことを活かし、必ず反映させていき
そして私がそうであったように、妊娠中も、出産後に育児をしなが
私の出身校の学校歌の歌詞には
己に勝るよき友をえらびもとめてもろともに
というものがある。
もろともに勝るよき友。
それを束ねた組織がアントレランドだと感じている。
年齢も、性別も、スキルもバックグラウンドも異なる仲間たち。
心に垣根を作らず、背伸びもせず、卑屈にもならずに語れる相手。
立場は違えど、互いを励ましあい、高めていける相手。
そんな素晴らしいメンバーで溢れた組織の一員になれたこと。
これだけで私の人生の中では大きな財産と言い切れる。
私の財産は友人と言い、人生に追い風を感じていたあの日の私。
育児によって、この私は封印されたように思えた。
近い未来に、より一層強い追い風を感じる私に逢える。
そう確信できる日々は、アントレランドに入った時点ですでにもう
これから眩しいくらいに輝かせてみよう。そう思っている。
「そっか。大変だったんだね。本当によく頑張ったんだね。」
今度は私がたくさんのママさんにこの言葉を届けられるように。
育児に疲れて、自信を失ってしまうママを一人でも減らせるように
育児をきっかけに「私もなにか始めてみよう」とライフスタイルに
「ここが私の居場所」と心の鎧を脱いで成長できる場所を提供でき
そしてそんな場所で私自身も成長できるように。
さらに、少子化や晩婚化の進む日本において、未婚女性が結婚や出
育児をすることで一層スキルアップするママを一人でも多く増やし
・・・と、想いだけは大きく、やるべきことがたくさんある私です
アントレランドに入れたからこそ大きくできた想いです。
これからもご指導よろしくお願いいたします。